心理的な壁が最も厄介な障害であるという陳腐な話
人生の早い段階から、自分の座るべき席はあらかじめ決まっていた。私が自分の居場所を確保するには、ふたつの条件が必要だ。第一に、名簿に自分の名前があること。第二に、決められた席を把握することだ。
このような生活に慣れすぎたので、意識しても自分の好きな場所にいるということがなかなかできないことに私は気づいた。これは23歳7ヶ月のときである。
我々は、周りからの承認を得なければ、指示を受けなければ、居場所を決定できない。
我々は都市で生活する上で、教育で刷り込まれたルールに基づいて行動できるエリアを決定する。
子供が塀の上に登れるのは、ルールの刷り込みがまだ薄いからだ。
大人も物理的には塀に登れる。
だがルールがそれを許さない。
だから、実際に移動できるのは「歩いていい場所」と公然と認められた地面に限られる。
20歳を超えた我々大人の足の裏が触れるのは、実は家の床、風呂場、そして靴底だけだったりする。ルールを守っているうちにそうなる。
人生のほとんどの時間、足裏が触れるのは世界の中のわずかな部分でしかない。
これは善悪の問題ではない。ただ、日中のコンクリートの熱さ、表面の質感を味わってみる体験というのが魅力にうつる。